「その心、信じられるか?」

●「あなた」と自分へ(笑)。長文ですので読み疲れするかも。

ミスや勘違いはある。

そして、私も「面倒だなー」という気持ちが顔に出て他人を不快にさせている時があるかも知れない。

人には「反省」が必要だろう。

ただ、反省は相手に対し土下座をするとか、ずっといつまでも思い悩むことではない。

「ああーやっちまったなー(・_・;)」という時が私には・・・多々あります。

そのせいか、私は他人の「ミス」に関しては、まあ、「しょうがいないか」という気持ちが大きいかな。

ただ、イライラしたりする時はあります。

それを感情的に相手(特に後輩など)に・・・言ったことはあります(あるのかよ!!)が、その前に説明というか「ミスを減らす方法を考えなさい、直す気持ちがあるなら何回でも聞いていいから」と伝えます。

自分の都合だけ押し付けてこちらからの要望に応えようとしない態度に厳しく注意したこともあります。

勿論、私にも至らない点は多々ありますが、特に気をつけていることがあります。

「意図的に他人を馬鹿にしたり見下したりしないこと」。

「意図的」と言ったのは相手が「そう」感じる可能性があるからです。

例えば「ええーそんなことも出来ないのー・・・へっへっ」( ̄▽ ̄)と冗談で言っても曲解して受け取る可能性があるからです。

まあ、これだと冗談も言えないけどね(笑)。

●曲解(きょっかい)→わざとひねくれた考え方をする。

同時に「意図的に人を馬鹿にしたり見下す人には、はっきりと軽蔑し拒絶します」。

先日、ある問題が起きました。

それ自体は良くない事だけどある意味「何処にでもあること」です。

私はその問題を聞いた時に相手に期待した反応は「反省」です。

「ああーやっちまったなー、ゴメンナサイ、気をつけよう」。

これで良かったんです。

ところが帰ってきた反応は真逆でした。

言葉は変えてありますが・・・「相手が悪い」っと。

私は「意図的」に、私を含めた「人」を馬鹿にしているように感じました。

そして・・・。

心の糸がほぐれました。

不思議と怒りの感情の波はなく、「軽蔑」の波が静かに起きました。

「困った時だけ人を頼る」。

良し悪しは別として、私の感性では「馬鹿にされている」と感じます。

私は恥ずかしながら、そんなことをした経験があります。「恥」「くせ」

そして、疑問が生まれました。

「人を軽視する考えや行動が長期的に成り立つのか?」。

プリント・アウトしたら文字が間違っていた。

それを直すのに修正テープを使いますか?・・・まあ、急ぎならね。

じゃあ、二枚目は?。

また、修正テープを使いますか?・・・違うよね?。

「もとデータ」を直すよね?。

でも、これは他人が言っても本人が自覚しないと理解出来ない。

その「もと」を直すには知る必要がある。

「考える」必要がある。

自分で。

それを放棄するのならば、私に出来ることは無い。

そして、多くの「人」にも難しいのではないかと思う。

己を顧みるのは、時に恥ずかしさだったり、愚かさだったりと向かい合う必要があり時に苦しい。

そして、良い因果が必ずしも報われるとは限らないから。

その苦しさ、やるせなさ、切なさ、私も少し分かるよ。

・・・。

それでも・・・。

「その、心」。

「私は信じる」。

それは「今」ではないかもしれない。

それでも「その心」に引き寄せられる人はいる。

そして、結果的に「真逆の人は遠ざかる」。

さて、どうしたものか・・・何て迷わない。

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・・・割と格好いいこと書いてますけど(笑)要は「出来る範囲で親切にしよう」ってことです。

私の記事ってSEO的に「良くない」んです。

ブログを書き始めたころはSEOを意識して書いてました。

ところが、何か「変になる」んです(笑)(-。-)。

文章がね。

文字数を増やす為にもっと「書かなきゃ」とか、タイトルを分かりやすく「しなくちゃ」とかだと、思い通りに書けないんです。

タイトルを見ただけで中身がある程度、理解出来る記事は良いそうです。

「普通」はそうなのかもね・・・

タイトル→「わっはっはっ」・・・???。

タイトル→「(笑)」・・意味不明(笑)。

タイトル→「。」・・・大丈夫かい?(笑)。

・・・お休み!!!。

読んでくれてありがとねー。

じゃね。

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