牛乳を買った日
今日、牛乳を買いました。ありがとうございました。
では、また、次の記事で会いましょう。
・・・・????
この題名だけで内容が理解できる人は存在しないはず・・・失礼しました。
今日、私の住んでいる地域に雪が積もりました。足跡が残るくらいの積雪です。
牛乳を買った帰り何となく、後ろを振り返りました。そこには自分の足跡が残っていました。前を見ると他の人の足跡、車のタイヤの跡、子供と思われる小さい足跡、沢山ありました。
あなたの年齢はいくつですか?学生さんですか?社会人ですか?それとも幼稚園生?・・・はさすがにいないかな。(笑)
仕事に限らず、勉強でも「成果」が求められるはずです。
月末にテストがあるので、頑張りましょう。
今月の会社の目標はこれ、頑張りましょう。
途中の「頑張り」を評価されることって、そうそうない事です。
目標に向かい、進んでいく。大事なのは目標地点に辿り着くこと。途中の「足跡」には価値はないのかもしれない。
あなたの悩み、私の悩み、「不安」「心配」。それらがすべて定量的(数値化)に判断できるとは限らない。
今月は1万円貯金しよう、そのために一日300円節約する、などは定量的であり、上記のテストや会社の例えで言えば、目標は○○点、や売上目標、○○円。そのために、一日、○○時間勉強する、利益を達成するために一日○○円、節約するなど。
しかしこれらの目標は決して簡単なことではない。それらがきっかけで病気になったり、卒業や退社をしてもその後長い間、希死念慮(具体的な理由はないが自殺願望がある)にとらわれてしまう人たちが沢山いるのだから。
数値化できない事や、していない事は定性的。テストで満点取るために「頑張ります」や利益目標のため「頑張ります」。
途中の「頑張り」が評価されることはない・・・つまり、足跡には価値はないのか?
悩みというのは、大部分が「定性的」だと思う。そして、現実は定量的な結果が出せなくて退学になったり、リストラされたりする。
私やあなたがその場所で残した足跡は何も語らないでしょう。そして、他の人の足跡で形も変わり、誰のものかわからなくなるでしょう。
ただ、前を「前方」を見てください。その先には道によっては、他の人の足跡もあるし、子供の足跡、タイヤの跡もあるかもしれないけれど、私達の足跡は「まだ、無いのです」。
私達が前方の人達の足跡を消してしまっても、その人達の価値がなくなるわけではないように私達の消えてしまった足跡は私達の未来を消してしまうものではないはずです。
所詮は、理想論かもしれない。美辞麗句で未来を語っているだけでは未来は変わらない。
しかし、私達が足掻きながら残した「足跡」は次の目標地点の道標になるはずだ。きっかけはどうであれ、美辞麗句ではなく行動して「自分で足掻いたのだから」
「晴れ」という清々しい天気には、「足跡」は見えなかった。
「雪」という天気が悪い日に、「足跡」が見えた。