「公平の輪と不公平の並び」
先日、食事を済ませ部屋で瞑想している時、急に今回の内容を思いつきました。
公平であるべき・・とは誰もがきっと感じる事。
時にそれはとても鋭くなります。
「自分はこれだけ頑張っているのに何故、適当にやっている「あの人」が評価されるのか?」。
と、言うような事って誰でも経験あると思います。
そして、この記事を書いている私も当然あります。
(なければそもそも、思いつきませんからね)。
(・_・;)。
「良くない感情」と理解しているが中々手強い感情です。
つまりは「嫉妬」という、
「何の役にも立たない感情」。
不思議な事があります。
「公平であるべきだ!」と自分の剣を磨けば磨くほど、感情に流され仕事が怠慢になったりします」。
「どうせ、頑張ったって評価されないんだから適当でいいや」。
ある意味正しい・・か・・も・・・。
では、逆に・・。
「結局社会は不公平であり自分一人の力では限界がある」。
一見、諦めにも似た感情です。
私も現在、全て「受け入れること」が出来ている訳ではありません。
けど、以前より「不公平さ」を受け入れようとしています。
*1「大富豪の家に生まれ、容姿は端麗、勉強も出来て、スポーツも代表クラスでギターが最高に上手くて女性にはモテモテでゲームも沢山持っている」。
・・・。
・・・。
(・!・)。
マジで?。
ここまでくると「嫉妬」もしませんけどね(笑)(-。-)。
それでも人は悩み、時に孤独に苛まれ、不安に駆られる。
「そうか・・そういう人もいる」。
*1(注意、現実の私の周りには上記の人は居ません)。
すると、気持ちが以前より「穏やか」になりました。
ギターが凄く上手い人の動画を見て、心を焦がしたことが何度もありました。
お金持ちの人の話を聞いて、心が燻ぶった(くすぶった)ことが何度もありました。
それでも、今は・・↓。
今、自分は恵まれていると本当に感じます。
「不公平さ」を少しだけでも受け入れるというのは結局は自分を守る「盾」になりました。
ちょっと冷静に考えてみて下さい。
確かに「不公平」というのは誰だって嫌なことです。
でも、殆どの人が気付いています。
「不公平はある」。
と、いうことに。
だからこそ、公平の剣を鋭くします。
だからこそ、公平の輪の中で生きて行きたい。
だからこそ、不公平の列には並びたくない。
しかし、不公平があるという社会の中で、ずっと「公平の輪」の中で生きていたらどうなりますでしょうか?。
いつか「不公平の列」に入ってしまった時・・・。
知っていても辛いのに「知らなかったらもっと辛い」です。
きっと。
かと言って不公平を全て諦めて受け入れてしまっては破綻してしまいます。
そうではなく、冒頭に書いたような「自分は頑張っているのに・・」と感じた時、少しでも立ち止まれる余裕を持てたらいいかな・・と思ってます。
でも、実はあまり余裕は持ててないかも・・(・!・)小声。
「全て」を「すぐに」に「受け入れて消化」なんて出来ないのです。
人によって傷の「深さ」はちがうのだから。
少し心の隙間に余裕が出来た時、「公平の剣」だけ磨くのではなく「不公平」を考えてみると「盾」に変わるかも。
そんな気がした夜。
読んでくれてありがとう。
ほんじゃーねー。
(現在、ブログは午前1:00に更新していますので日付が違うことがあります)。
a fair circle and an unfair array.
Everyone feels that it should be fair.
Everyone should have experience to say that I’m working so hard.
In other words,the useless feeling of jealousy.
Most people are aware.
There is injustice.
Anyone hate unfairness.
But what happens if we live forever in a”fair circle” in an unfair society?.
When I get into the unfair queue someday, I feel very painful.
I hope I can afford to stop even a little.