「いつかどこかで」

以前、何かの本でこんなようなことを読みました。

「例え誰かがあなたの財産を奪ってもあなたの知識は誰も奪う事ができない」。

・・みたいな事だった気がします(笑)。

これって細かい文章の違いはともかくとして、多くの方・・きっとあなたも聞いたことがあると思います。

「奪われる」というのは現実味がないかもしれませんが

この例えならどうですか?↓。

「攻撃される」。

まだ、ピンと来ませんか?でもすぐに思いつくはずです。

何も物理的な「攻撃」だけではないんです。

そう、学校や仕事に行った事があるなら誰でも経験があると思います。

ひょっとしたら相手には私やあなたを攻撃するつもりはないかも知れません。

でも、結果的には「攻撃された」ことってありますでしょ?。

また、「相手」も私に対して「攻撃された」と思っている人もいるはずです。

例え、論理的、倫理的に正しいとしても。

はてさて、困りました。

どちらにしても「いい気分」ではない。

どう対処したらいいか・・。

冒頭の言葉を思い出してください。

「知識」を「対処方法」と置き換えてもいいでしょう。

どれだけ気を使っても、「どちらか」になると思います。

ちょっと考えてみて下さい。

私は「あなた」のことを全く知りません。

年齢、性別、生まれた場所、好きなゲームはどのジャンルか・・。

その私が「あなたの事、嫌い」と言ったらどうでしょうか。

嫌な気分になることは間違いないでしょう。

では、それをまともに全て受け入れますか?。

「ああーそうか、自分は駄目なんだ」っと。

これは・・やっぱり「間違い」ですよね。

知識を増やすのは大切・・というより「必要」だと感じます。

読んでくれてありがとねー。

バーイバイ。

someday somewhere.

I read something like this in a book before.

“Even if someone takes away your property,no one can take away your knowledge”.

“Stolen”may not be real,but what about “attacked”?.

There is nothing more than a physical”attack”.

Anyone who has been to school or word has experience.

“Knowledge”may be replaced with “Corrective action”.

I feel that increasing knowledge is important and necessary.

生活

前の記事

「今、手にしてるもの」