「深まる孤独の色」

きっかけは些細な独り言だった。

久しぶりに自転車で走ったとはいえ膝が痛い。

以前はこれほどでは無かった。

・・・そうか、自転車を買ってから4年経っている。

4年も経てば身体も変わる。

当たり前か。

身体は凄く疲れているのに寝付けない。

22時、ノートを手に取り、自分の気持ちを殴り書きしていく。

そうか、自分は孤独を感じているんだ。

だけど、上手く他人と関われない。

何だか自分で書いていて、ややこしいし、我儘でもある。

・仕事に行けば、「それなり」の会話はする。

挨拶。

こんなことがありました。

あんなことがありました。

カウンセラーなどの専門家でない限り、他人の孤独の悩みを聞く機会というのは、そうそうあるようには思えないがいかがか?。

これは誰もが抱えている悩みだと「思う」。

でも、しょうがないから笑顔の仮面をつけて今日を過ごす。

では、「数」で埋まるのか?。

誕生日、お正月・・5人、10人・・人によっては何百人か。

「おめでとう」とLineが来たり送ったり。

時間は数秒。

その「秒」の時間で何百人にも、挨拶が出来る。

・私が小学生だった頃、年末はお正月用の食材を家族で買い物に出かけたのを覚えている。

お正月も何だかよく分からない理由で皆で買い物に出かける。

時間効率は、今考えると非常に悪い。

秒、どころか半日かかる。

親戚に挨拶に行くなら移動時間も考えると1日だ。

泊まったら2日掛かる。

・テクノロジーの進化と共に孤独が解消されるならば、これは明らかに矛盾している。

1日に数人と会うのがやっとだった以前。

秒で数百、数千、数万の人と「やりとり」出来る、今。

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皆さんはどう感じますか?。