「ランニング・シューズ」

私→「まあ、そんな感じです」→「床と会話する」「壁に相談する」

ランニング・シューズ→「なるほどー・・・。まあ、それはしょうがないとして、余計なことを考えてしまうっていうのは、言い方は悪いけどヒマなんだよ。だから、余計なことをあれこれ考えてしまう。破れ寺に迷い込んだ虻のように。いつでも自分から自由に出て行けるのに、何故か毎回、同じ壁にぶつかって・・・を繰り返してしまう。他人から見たら馬鹿げたことかも知れないけど、大体、そうなんじゃねーの?。本人が気づいていないだけで。もし、違うなら、人間は同じ事は二度は悩まないってことになるでしょ?。そんなことあるのかな?。そして、「ヒマなんだよ」って言ったけど、それが「悪い」とは言ってないんだよ。考えて見てよ?。毎日、追い立てられていたら枯れた木々を見て切なく感じたりしてる「ヒマ」なんてないでしょ?。だって、追い立てられているのだから。そういう、がむしゃらに追いかける時期って人にはあるけど、いつからか、少しづつその速度を落としていかざる負えない時が来るでしょ?。例えば今まで自分がリーダーだったけど、後輩が育ってきて、今まで君がやってきたことを引き渡すことになるかも知れないし、君自身の体力のこともある。ひょっとしたら、自分が望まない形で違う道を譲らざる負えない時もあるでしょ?。そういった様々な場面に出くわした時、急に「ヒマになってしまったら」どうする?。今まで、がむしゃらに進んできて、「ヒマ」なんてない。余計なことを考える「ヒマ」なんてない。なかった・・・として。今まで、タスキを肩に掛け、走っていたけれど急にそのタスキとバトンを渡さなきゃいけない。そんな時って来ると思う。それは今、君が感じているように不安・・・というか恐怖に近いかもね?自分が必要とされなくなる・・・そんな気がして。でも、その不安、恐怖もまた、恥ではない。誰もが抱く気持ちなんじゃないだろうか?。労働力の問題、高齢化、収入・・・色んな意味で多くの人がまだまだ、長い間働くと思う。働かざる負えない→から、働きたい→結局、人は誰かの役に立ちたい→誰でもない誰かではなく、自分として認識してもらいたい。そんな気持ちってきっとあるでしょ?。俺だって、君が履いてくれないと、ただ埃が入る長細い穴だからね(ー。ー)。人は変わるよ。時間が経てば粗末に扱っていたことが大切に感じたり、今まで大切にしていたことがどうでもよくなったり。そうやって揺れながら歩いていく・・・その逆ってあるの?。ブレずに直線を歩い行く・・・そういう人もいるだろうけど、君はどうなの?。まあ、もう揺れまくっているから確認するまでもないけども。しょうがねーじゃん・・・それが人っていうか、君だろ?。これらのことが仕事とか芸術とかで称賛されれば、「あの人は床、壁、ランニング・シューズと話をする変わった人だけでも凄い人」っていう承認を得られるけど、しょうがねーじゃん。それに承認を求め続けるのってきっと大変だよ。抜け出せなくなる。で、物や人に頼るようになってしまう。勿論、物や人に頼るのが悪い訳じゃない。欲しい物があれば買えばいい。昨日君が買った、アーモンド・チョコレートもその一つだ。いつも買うチョコレートより倍の値段がするから迷っていたけれど。心だって身体だって調子が悪ければ病院に行くべきだし相談するべきだ。ただ、いつも「そこにいるのは自分」なんだよ。泣いて笑って落ち込んで雪が降って化粧をし、少しづつ日暮れの時間が長くなり、そして、また、生命が芽吹いていくんだよ。君もその生命たちに支えれているんだぜ。そんなことを考えられるのも「ヒマ」だからだよ?。どうだい?少しは「ヒマ」に対する罪悪感が無くなったかい?。今日は一緒に一万歩も歩いたからいつもより疲れたろ?。さあ、本を持って布団に入りな。

私→「ありがとう!!!」。

でも・・・。

改行ないから、

読みずらいよ。

ランニング・シューズ↓。

「何だと!!!(ー。ー##。

生活

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