「祝福と別れ」そして「人間としての感情」

来月から新しい道へ進む子との別れがあった。

先日、その子に言った言葉。

私→「正直、期待してなかったという訳ではないけれど、そつなく、事故なく仕事をしてくれればよいと思っていた。今は任せられるようになった。助かった・・というより、俺は嬉しかった。」

私→「よく、ここまで成長してくれた。ありがとう」。

どうなんだろう・・若い子にとってはオジサンの余計な小言だったのだろうか(ー。ー)。

地獄への道は善意で敷き詰められているのだろうか?。

「地獄への道は善意で敷き詰められている」とは?善意が引き起こす落とし穴と心理的背

何と言うか、嬉しさと寂しさが一緒になっている感情。

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こちら↓は以前SunoAIプロプランで作った曲です。

良い曲です。私はとても気に入っています。

これが一分足らずで完成されてしまった。

私は、この曲を聞いた時、ちょっぴり複雑な気持ちになった。

私→「若い時からギターを弾いているけど、ほんの一分で抜かれてしまった」。

こちら↓の曲も好きです。

狙ってできた訳ではなく、偶然出来た曲ですけど。

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AIに対して色々な感情を持っている人がいるでしょう。

肯定派、否定派。

特に、音楽や画像などのクリエイティブなことに関しての感情は更に強いかも知れません。

私は現在、AIを使用してますが、以前は否定的でした。

否定的・・というか、何て言うか・・何か「人として」の感覚が置き去りにされるのではないか?という感情がありました。

今、AIを使って感じることは良し悪しの感情とは別に単純に「凄い」。

そして「人が積み重ねてきた何十年という時間が、一分でひっくり返る」。

そんなことを私は感じてますが、あなたはどうですか?。

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これから起こることは何だろう・・と考える。

「予想」ではなく「必ず」起こることは?。

・少子高齢化。

今、私の職場はその影響をもろに受けている。

そして、これからもっと進んで行く。

職種による影響の度合いは分からないけれど「もう、テクノロジーの力を使わないと成り立たない」ということを私は肌で感じている。

「もう、支えきれなくなる」。

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テクノロジーを使うことにより、負担が減るとしたらどうだろう?。

・今までより早く仕事が終わり、ゆっくりと身体を休めることが出来る。

・別の収入源や可能性を見つける。

など。

どうだろう・・私の考えは突飛で絵空事なのだろうか?。

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仮に、すべてをテクノロジーに任せることが出来たとして自分はどうなるだろうか?とも考える。

便利になり時間も今までより多くなる。

それで、全てが解決するだろうか?。

無くしきれないことがある。

「人間としての感情」。

・先日、お客さんのお子さんが私に会いに来てくれた。

その時の嬉しくも恥ずかしい感じ。

・今日の祝福と別れ。

その時の嬉しさと寂しさ。

あなたがテクノロジーに対して、肯定派、否定派・・どちらにしても「何か」は感じてるはず。

その「何かの感情」はテクノロジーを使ってもなくなることはないと思うがどうだろうか?。

そんなことを感じ、今日はどうしても書きたかったので書いてみた。

自筆だと時間が掛かり疲れる(・_・;)。

さて、もう寝ます。

まだまだ、寒い最近。

最後まで読んでくれてありがとう。

またね。