「君はどこに居る?」
先日、自分でも「気を使い過ぎ」と感じつつ空回り。
何か上手く行かない。
上手い「言葉」、会話が出来ない。
そんな中、ご家族のお客さんが来店。
対応していると親御さんがお子さんに向け「良かったねー」と話している。
私は最初、何のことか分からず対応していると・・・。
・親御さん→「この子、あなたに会いたがっていたんです」。
私は、予想もしていなかった言葉に不意を突かれ気の利いた言葉は返せなかった。
「恐れ多いですね、ありがとうございます」。
何ともつまらない言葉だ、と自分でも思う。
帰りの際に、挨拶とお子さんに手を振って見送る。
「ありがとうございます」っと。
確か、以前にも、そう言ってくれた人が居たが同じ人だったかは、記憶にない。
その方達と「会話」をしたことはない。
でも、私のことを知って覚えてくれていた。
嬉しいことである。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー。
どんなに言葉で取り繕い、他人を騙せても自分を信じることは出来ない。
完璧はなくミスもする。
不用意な言葉や態度で他人に嫌な思いをさせてしまう時もある。
でも、考えて欲しい。
自分がやるべきことをやらず、ごちゃごちゃの部屋で生活しながら「自分は成長している」と信じられるのか?。
自分が上手く行ってないのは他人が悪いからだ・・と言えるのか?。
私には他人に自慢できる肩書きもステータスもない。
そして、それが正解だとは思っていない。
しかし、大きく成功し他人から羨望の眼差しで見られる人が、何かのきっかけで苦しい人生になってしまう可能性があることも知っている。
もう一度言うが、成功、裕福が悪い訳では当然なく、私にも野望がある。
大きく成功することを願い生きて行くことが悪いとは思えない。
それでも私には「ナイーブ」な一面があり自分でも嫌になる。
私を知っている人なら分かるだろうか?。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー。
以下はChatGPTの文章です。正しい回答とは限りません。
「ナイーブ」とは、感受性が強く、純真で素直な性格を持つことを指します。特に、日本語で使われる「ナイーブ」は、繊細で傷つきやすい、人を信じやすいというニュアンスが含まれています。英語の「naive」は、「世間知らず」や「経験が浅い」といった意味合いが強いですが、日本語ではもう少しポジティブな意味合いで使われることが多いです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー。
私を知っている人はどのように感じるだろうか?。
これらの文章と実物の私を見て全く違う感じがするだろうか?。
他人の感覚は分からないけど「全く違う」という印象は受けないと思う。
まあ、それ自体はどうでもいい。
そう「思われたい」訳ではないから。
そうは言っても「強めの人」と比較すると私や「私達」・・(あなたにも当てはまるかも)は甘く見られ嫌になった記憶があると思う。
普段は甘く見ているのに困ったら頼られる。
そんな経験はあるだろう。
でも、
どうか信じて欲しい。
そういう態度には「限界」がある。
例え「それ」でその時・・半年、1年・・上手く行ってもその後は行き詰ってしまう。
そういった話を聞いたこと、経験したこともあるだろう。
私の言葉ではなく、自分の・・「あなた」のやっていることを信じて欲しい。
「信じられる」ことを生活に取り入れて欲しい。
そういったことを少しづつ続けて行く内に、気が付けば体調のことを余り心配しすぎなくなったりし、生活が向上する。
どうか信じて欲しい。
他人にも自分にも「言葉だけ」では限界があることを。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー。
以下の文章、画像はChatGPTです。正しい回答とは限りません。文中の人物「山田正志」は架空の人物です。
「風に吹かれて」
春の穏やかな風が、街路樹の桜を揺らしている。山田正志は、その風に吹かれながら、自分の人生を振り返っていた。彼は今年で50歳になる。長い間、勤勉に働き続け、家族を養うために身を粉にしてきた。だが、心の奥底にはいつも感じていた違和感が、少しずつ大きくなってきていた。
「これで良かったのだろうか?」
自問自答する日々が続いている。彼は優しい性格で、誰に対しても気を使いすぎるほどだ。家族や同僚の期待に応えるために、自分の本当の気持ちを押し殺してきた。しかし、その結果、彼の心は少しずつ疲れていった。
ある日、彼はふと立ち寄った古い本屋で、一冊の本に目を奪われた。タイトルは『心の声を聞く』。その本を手に取った瞬間、何か運命的なものを感じた正志は、迷わず購入し、帰宅後すぐに読み始めた。
本の中には、自分の気持ちを大切にし、自分自身を理解することの重要性が書かれていた。ページをめくるたびに、正志の心に共鳴するものがあり、涙がこぼれ落ちた。
「ずっと、自分を後回しにしてきたんだな…」
彼は気づいた。自分の気持ちや欲望を無視し続けた結果、心の中には埋もれた感情がたくさんあった。仕事でも家族でも、常に他人を優先し、自分の心の声を無視してきたことに、深い後悔を覚えた。
次の日、正志は公園のベンチに座り、風に吹かれながら、ゆっくりと自分の気持ちに耳を傾けた。そして、小さな決心をした。「これからは、自分の気持ちを大切にしよう」と。
それからの日々、彼は少しずつ変わっていった。無理な仕事は引き受けず、家族との時間も増やした。友人と久しぶりに再会し、自分の悩みや喜びを共有することも増えた。そして何より、自分自身と向き合う時間を大切にするようになった。
時間が経つにつれ、正志の心は次第に軽くなっていった。桜の花びらが風に舞うように、彼の心も自由に舞い始めたのだ。
この物語では、優しすぎるがゆえに自分を見失いがちな中年男性が、人生の転機に立ち、自分を大切にすることの大切さに気づく様子を描いています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー。
今、私が携わっている仕事は、嫌いで仕方なくやっているという訳ではないから大きな不満がある訳では無いけれど、何かが変わる気がする・・何となく。
読んでくれてありがとう。
またね。