「人生の幸せはどこだろう?」

〇エッセイのブログを更新しました。「リスク」

●頑張りが跳ね返ってきたとき。

さて、今日は休日の雨。

個人的に休日の雨は、それはそれで嬉しいというか、のんびりします。

・単純に「望んだモノが手に入る」というのは幸せを感じませんか?。

物でもモノでも。

自分が頑張ったことが跳ね返ってきたら嬉しいです。

全てを手に入れる、というのは不可能でしょうけど。

ただ、「自分が情熱を捧げるモノ次第で人生は変わる」と思います。

会社に情熱を注ぐ、のか、仕事に情熱を注ぐのか・・・。

似ているようですが、凄く違う気がします。

「会社」は時に無くなってしまいます。

「仕事」も現在は様々な状況で無くなってしまったり、テクノロジーの変化で「その仕事」は無くなるかも知れません。

ただ、「仕事をする」という事自体は、無くならないのではないか?と個人的に思っています。

そもそも、「仕事」って何ですかね?。

誰かの役に立つ、とか、誰かの望みを叶える、とか。

誰かの問題を解決する。

とも言えるのではないでしょうか?。

「美味しい」お寿司が食べたい、「お洒落」な服が欲しい、「楽しい」ゲームが遊びたい・・・。

凄く抽象的で難しいけれど、これらのニーズを満たす為に色々考えてるはずです。

「いや、お金の為だよ」と、言っても結局は「相手の為になっている」。

自分の全エネルギーが「他人に向く」のは恨みに変わる→「いつもの中の特別な感情」ので危険でしょうけど、情熱を向ける対象が「しょうがなく」だと、辛いと思う。

これは、私も経験済みです(・_・;)。

ちょっと、立ち止まって考えて見るのはいかがですか?。

まあ、私も現在、考えてますけど。

そんなことを思う、休日の雨。

読んでくれてありがとう。

またね。