「常識に囚われない、という常識に囚われる」

●自宅でマフラー巻いて、毛糸のチョッキとジャンパーを着る。

皆さん、調子はいかが?。

まあ、寒いじゃないですか・・・最近。

特に朝、布団から出にくい(・_・;)。

「ストーブ付ければいいじゃねーか」と思うでしょ?。

私→「ストーブ付けに行くのが寒いのよ」(-。-)。

で、色々、考えた結果、そもそも「根性」で起きるのは無理と判断し、「そうだ、ジャンパーを着ればいい」っと。

そう、「家の中でジャンパーを着てはいけない」という決まりはない。

ただ、外出用とは別にしていますので自宅専用。

最近の私の自宅の格好は↓。

下半身→ヒートテックのタイツ、タイツ、靴下、ジャージ。

上半身→シャツ、ヒートテック、トレーナー、毛糸のチョッキ、ジャンパー、マフラー。

・・・自宅です(-。-)(笑)。

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きっと「価値観」が大きく急激に変化し「無価値」と言わないまでも著しく低下したことは沢山あると思います。

特に仕事には顕著に表れているのではないでしょうか。

「真面目に一生懸命にやれば報われる」と言う考えはいかがでしょうか?。

この「報われる」が何を指しているのかは、自分で判断するしかない。

多分、多くの方(私も含めて)の直近の問題は「お金」のことだと思う。

結局は・・・。

育った環境によるでしょうが、「多すぎるお金を持つと不幸になる」「お金は汚い」「お金を稼ぐには人を泣かせないと無理」とかって思ったり、聞いたことありませんか?。

そして、こう思う。

「結局、金が全てだ」・・・と。

これも私は思った事があります。

ただ、そもそも「お金」と「愛情」は別の問題。

水と食料、どっちが大切か?っと問われたら「両方、大切で必要」。

「お金が汚い」というのは「ばい菌」の側面で考えたら、まあ、汚いでしょうね(・_・;)。

「善、悪」での比較からの「汚らわしい」ということなら、そもそもお金という物質に精神性を持たせるのはどうなのだろうか・・・と。

そして、現実には多くが「お金」という資本で個人は勿論、世界が回っている。

余りにも偏りすぎると「どっちか」になってしまう。

「こっちは、金を払ってるんだぞ!だから、言うこと何でも聞けよ」みたいな。

「だから、お金より愛が大切」みたいな。

両方大切。

両方欲しい。

私は素直にそう思うけどね。

まだ、寒い季節は続きます。

道が凍って歩きずらい。

転ばないように気をつけよう。

読んでくれてありがとう。

じゃーねー。

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