「吹雪の思い出」

●車で迎えに来てもらったこと。

朝、仕事に向かう途中珍しくカラスが居たので「どれ、挨拶でもしてやろうと」思い「どうだ、調子は?」と声を掛けると無視されました・・・まあ、そりゃそうだ、突かれても嫌だしね。

私の住んでる地域では先日、結構な雪が降ったんですが一旦溶けて道路がツルツル。

まるで「ロックマンのアイスマン・ステージじゃねーか!」と、一人で考えてました。

電車に乗り、ふっと窓の外を見ると吹雪いていました。

・・・そういえば、あんなことがあったなーと昔を思い出しました↓。

確か、22、3歳の頃・・・街中まで出かけて(バンドを組もうと頑張ってた時)帰りの最終電車に乗れなくて、夜中兄弟に電話をして迎えに来てもらったことがありました。

朝まで頑張ろうと思ったんだけど、無理でした・・・月(多分、2月かな・・)は覚えてないけど金曜日の夜だったはず。

結局、駅、北口のローソンの公衆電話から電話をして来てもらいました。

何故かぼんやりと、その事を思い出しました。

ーーーーーーーーーーーーーーー。

人生は有限でその限られた時間の中で何をするか。

特に自分より若い方が(起業だったり芸術だったり何でもね)有名になったりするのを見ると本当に凄いと思う。

そんな人達と比較して、自分が出来ることは何だろうか?。

「才能がない」ふてくされるか「アイロニー」により自分自身すら騙すのか・・・。

●アイロニー、イロニー→無知の状態を演じること。ウィキペディア

・・・結局、難しい言葉を使ったって、無知のふりをしたって何も変わらない。

ただ、自分が惨めで虚しくなるだけ。

でもね、この「痛み」のない人生なんてありえるのだろか?。

私はないと思う。

逃げる必要のある「痛み」は勿論ある。

「水分補給しないで校庭50週」とか「お前、一か月休みなし」とか意味不明。

そういうんじゃなくて(笑)、己が何かを望めば「痛み」は時に伴います。

ギターを練習したってもっと上手い人は沢山いるし、仕事だって収入だって何だってかんだって、やっぱり「ズキッ」「グサッ」「ズバババッ」と心に刺さるんだけど、それは「自分が欲しい物」の証。

「見栄」で不相応な物を買ったりすると、ろくな事にならないけど「精神的な見栄」というか「ぜってー俺はやるぞー」っていう、気持ちは必要でしょう。

そんな事を感じ思った吹雪の土曜日。

読んでくれてありがとねー。

バーイ。

生活

前の記事

「尊敬と敬意」