「与える意味ってあるの?」

●与えるとは物やお金だけではない。

そして、奪うことも、物やお金だけではない。

自分の都合だけを押し付ける人を私は「奪う」と判断しています。

私の判断が正しいかどうかは分からないけど、こういった事は皆さんも経験あるでしょう。

一見、「奪う人」というのは「奪ったモノ」に囲まれ裕福に見えるかも知れません。

「あの人は自分勝手にやって楽そうだなー」とかね。

ところがですねー・・・良く見て見ると、精神的にとても不安定に見える。

こういった事ってどこにでもいくらでもあると思いますけど→「優しさを担保に「大きな」見返りを求めると辛くなりそうだ」

落ち着いて考えると分かるはずですが、自分が安定している時って過剰反応しないはずです。

仲間がミスをする、した。

それに対して過剰に怒鳴ったりしますかね?。

イライラしたりはしますけど。

勿論、大きな問題であれば厳しく注意する時や必要はありますが、何ていうか、「コーヒーはブラックで頼んだだろう!!!」

みたいな感じです。

いや・・・そんなんどうでもいいし、自分でやれよって、思います(-。-)。

私の観察眼(正確性は時折怪しいけども)だと、

こういうことをする人って・・・「奪う側の人」なんです。

約束を守らない、人には厳しく自分は許す、都合を押し付けるなどなど。

奪うだけだから、人は離れて行きます。

例え、物理的には近くても心は遠く離れていきます。

更に不安定になり、やっぱり「奪う」。

では、「与える意味ってあるの?」ってことです。

物やお金だけではないんです。

「よし、今月の小遣い全部、寄付する」とかは私は無理なんです。

「よし、有給の全てをボランティア活動する」とかは私は無理なんです。

そんな、大きなことではなくていいんです。

私の例えで恐縮ですが、会社に書類を提出するとします。

期限を守る・・・とか。

その時に、相手が見やすいようにまとめる・・・とか。

皆で使う場所は綺麗に使う・・・とか。

使いやすいように整理整頓する・・・とか。

こんな、些細な小さな事。

「当たり前だ」と思われることなんだけど、「奪う人」って出来ていない事が多いです。

私の怪しい観察眼だと(笑)。

で、これらの「小さな事」がある時、信用となって帰ってきます。

「あの人に任せれば大丈夫だろう」・・・と。

だけど、それ故に負担になる時もあります。

納得できない時もあります。

でも、その時には「ある程度の事はこちらから言える影響力」が付くんです。

それは自分で選択できる項目が増えるということです。

「いやーそりゃ、無理じゃないっすかー」。

「こうやった方がいいと思います」・・・とか。

まあ、通るかどうかは不明ですが(笑)、交渉は出来ますよ。

「奪うだけの人」は交渉すら出来なくなります。

・・・嫌でしょ?(・_・;)(笑)。

そんなことを感じました。

タイピングのミスが凄く多くてイライラするぜ!!!。

では、読んでくれてありがとう。

じゃね。