「地獄への道は善意で敷き詰められている」
衝撃タイトル(笑)。
結論は「良かれと思って行った事が、必ずしも良い結果になるとは限らない」。
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参考サイト 地獄への道は善意で舗装されている – Wikipedia
(参照日 2020/05/22)。
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ほんと・・・不思議です。
最近、気持ちがモヤモヤしていて今日の朝、横になりながら今読んでいる本を手にしました。
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何となく読んでいるとこの文章が「目に飛び込んできました」。
そう・・・本当に「飛び込んできた」という感覚です。
別に太字で書いてあるわけでもなく、各章のタイトルでもなく、ただの一文として書いてあった言葉でした。
善意で・・・か。
自分は「善意のつもりが」が相手にとっては「悪意」になりえる・・・とも、言えるのかな?と、考えました。
これは、あれか?・・・「小さな親切、大きなお世話」ってやつか?。
このブログ、大丈夫か?・・・と少し心配になりました(-。-)。
・・・余計、悩みが増えたのか?(笑)。
一見、そう見えますよね?。
でも、そうではなく、心のある部分で「スッキリ」しました。
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私は40代の男性です。
10代、20代の方達から見れば、中年だし、悪い言葉を使えば「老害」と言えるのかも知れません。
私は、自分の仕事や人生を良くするためには「相手の為に何かを与えなけらばならない」と思っています。
自分が500円欲しいのに、相手に50円の価値しかない「もの」を与えたらどうなるでしょう?。
「その時だけ」は取引は成立するかも知れません。
でも、「その後」はないでしょう。
私は、自分の仕事や人生を良くするためには「自尊心がとても大事」と思っています。
自分がミスをした時は相手に頼み、相手が困っている時には知らん顔をする。
「その時」は「仕方なく」滞りなく終わるかも知れません。
でも、「その後」はないでしょう。
これで「自尊心」を手に入れる事が出来ますか?。
どうでしょうか?。
絶対的な正義、正しい物の見かた、というのはないかも知れませんが、この「考え方」は大体、概ね、相当、「合っている」と思います。(笑)。
でも、この考えも人によっては邪魔であり「戯言」です(笑)。
単純にですよ?。私が普段、あなたに「ちょうだい×30」・・・と「もの」を要求して、あなたが「ちょっと、忙しいから手を貸して?」と私に相談した時、「いや、知らねーし!!!これから遊ぶ予定あるし!!!」って言われたら・・・。
どう・・・も、こうもない(笑)。
そして、多くの人間関係の悩みの中「この悩み」って、相当数あるのではないでしょうか?。
「ここまで、やっているのに」・・・と。
「ここまで、やってやっているのに」・・・と。
とすると、これは「どちらかが悪い」と、言うよりもう諦めるしかない。
結局、これはお互い「相容れない」のだから。
じゃあ、もう「やめよう」。
実際は「すべてやめる」事は出来ないでしょうから「こういうもんだ」と思うようにするのはいかがでしょうか?。
「えんぴつ」・・・って誰が名付けたか知らないけど、「えんぴつ」って呼びますよね?。
「本」・・・って誰が名付けたか知らないけど、「本」です。
「そこ」を深く追求しても、徒労に終わるかも。
この精神的負債って何ですか?(笑)。
他人資本の領域を増やす必要は全くない。
自己資本を増やす為に時間やエネルギーを使えばいい。
勉強してもいい、疲れたなら休む、ゲームする、ギターを弾く、けん玉をする・・・まあ、何でもいいでしょう。
そんな事を考えた風が冷たい金曜の午前中。
読んでくれたありがとう。
バイバイ。
わっはっはっ( ̄▽ ̄)。
地獄への道は善意で敷き詰められている→the road to hell is paved in good faith