「怒りの引っ越し事件」
引っ越し業者に見積もりもしてもらい、日にちも決定しました。
三日前だったでしょうか、親が突然、朝、「業者を変えたい」と言い出しました。
理由は「有名な業者に頼みたい」との事でした。
私は烈火の如く怒りました。
多分、ここ、数十年の中でも一番だったのではないでしょうか。
兄弟に調べてもらい、見積もりにも立ち会ってもらい、私は仕事をしながら休日は片付けをし、鼻血を出しながら頑張っているのに、それらを否定されたような気がしました。
親としてはそこまで深く考えていなかったでしょうし、悪気はなかったかも知れません。
しかし、私は、その日の朝は許せませんでした。
正直「他人」なら、言葉が悪くて申し訳ありませんが「こいつは馬鹿だ。まあ、いいや」で済ませたでしょう。
しかし、一緒に、文字通り逃げて来て、大変な思いをしてきたのに、そんな馬鹿げた事を言う事が信じられなかったし、許せなかった。
「ふざけるのもいい加減にしろ!!!」と思いっきり怒り、兄弟に「引っ越しは無しになった」とヤケになって電話しました。
「キャンセルの電話や他の業者の連絡は自分でしろ!!!」と言い放ち、運よくその日は仕事だったので、ギターを担ぎ謝る親を無視して家を出ました。
仕事はいつもより出来た気がします。
怒りのエネルギーで。
普段より早く帰らせてもらい、一人でカラオケ屋に行きました。
最初、一時間で入りましたが、結局、三時間居ました。
ずっと、ギターを練習して一曲も歌いませんでした。
帰り道、気温を見るとマイナス8℃位だったけど、「寒い」というより「負けるものか」という気持ちでした。
ゆっくりと地面の雪を見ながら歩いていました。
流石に冷えてきたので駅に寄り、崩れるようにベンチに腰掛けました。
手帳を取り出し、ふらふらした文字で気持ちを書いてました。
電車が到着し改札口から人々が出てきます。
迎えの電話をお願いしている人。
居酒屋に行く話をしてる人。
仕事が終わり帰りの電話をしている人。
そんな中、自分一人、滑稽でした。
冷えた身体を駅のベンチで温めながら、疲れで眠くなりながら、長靴を履き、ギターを抱え、手帳に文字を書く。
「負けるものか」・・・と。
急いで帰る気もなくゆっくりと歩き始めました。
冷え込む時間でしたがゆっくりと歩きました。
地面の雪を「キュッ、キュッ」と鳴らしながら。
夜空は綺麗でした。
夜空を見上げ、マスクから漏れる白い吐息でまつ毛を濡らしながら口に出して言いました。
「負けてたまるか」。
「負けるものか」。
家に着き、直ぐにシャワーを浴びました。
それでも、家があり、こうしてシャワーを浴びれる事は贅沢な事であります。
そんな日もありました。
読んでくれてありがとう。
またね。