啓発読んで啓蒙しても恣意的な判断をする。
「あっ!!面倒臭そう」っと思ったそこのあなた!!!ちょっと待って。もうちょっと付き合ってください。何か面白い事が書いてある・・・かも・・・知れない。
啓蒙(けいもう→知らない人を啓発して正しい知識に導く事)
恣意的(その時々の思いつきで判断する)
では、どうぞー
まず、先に言っておきたいのが「自己啓発」が良いとか悪いとかの話ではないです。
皆さんは「自己啓発」の本って読みますか?私は一時、凄く読んでいた時期がありましたが最近はあまり読みません。(本屋に行ったときチラ見はしますが)
「自己啓発」と聞くと何となく疑うというか「信用できない」と思う方もいらっしゃるかと思います。私も以前はその一人でした。
「啓発本」を読んだことがある方は、これから書くニュアンスが理解しやすいと思いますが、その本の文章や受けて(自分)の精神状態によっては何か・・・
「責められている気がする」
事ってありませんか?私はあります。(-。-)
それもあってか最近はあまり読むことがなくなりました。
ただ、これは私自身が勝手に感じたことで、筆者の本意ではないと思います。
「啓発本」だけではないですがよく目にするのはこういった文章・・・
「今、起きていることは自分が選択した結果だから責任は自分にある。」
・・・確かに「そう」なんですよね。いやーおっしゃる通り・・・
まあ、そうなんですけど・・・皆さんはどうですか?心に「スポン!」と落ちましたか?
私はちょっと違和感がある。
自分で消化できる「痛み」であれば素直に納得できるかも知れない。
例えば、自分の考えで新商品を発売した→売れなかった。
これに対して「人のせい」にしていたら成長はないと思う。
発売する一週間前に同じような商品が他社から発売されたから売れなかったんだ→運が悪かった。
自分の責任ではない。
これは「間違い」だと思います。
今回は自分のリサーチ不足だった→全てが事前にわかる訳ではないが次回はもっと入念に調べよう。
ふんふん。これならば「成長」を自分で感じる事が出来るでしょう。
では次の例えはどうでしょうかね?
「ハラスメント、過重労働当たり前、休憩、トイレもギリギリで~休暇なんて覚えてない」ラララララ~♬
これを先程の「自分が選択したのだから~」をそのまま受け取った場合・・・
「傷つきますよね?」
そして、「救い」が無いですよね?
これって極端で馬鹿みたいな例えかも知れませんが、自分が追い込まれているのに自分では気づいてない時って、そのまま受け止めてしまう事ってあるんです。
私は上記のような職場ではなかったですが、自分の症状がひどい時に「ああーそうか、結局は自分が悪いんだ」と思ってしまいました。
先述しましたが筆者はこんな極端な解釈は望んではいないと思うんですが、私は勝手に受け取ってしましました。
そして、これもよく目にする文章ですが・・・
「自分を傷つけるのは自分」
上記の私は「モロ」にそうでした。(-。-)
特技→自分を責める→やめろ!!!これは駄目。
啓発を読んで自分相手に啓蒙してもその時々の状態で恣意的に判断してしまう。しかも間違った方向に・・・
例えば「あんた、馬鹿よ」っと言われたとしても、その時の相手の表情、声のトーン、前後の出来事などで「あー冗談なんだな」と気が付く事はあると思いますが、文章だとそのままストレートに来る・・・感じてしまう。
「ルカ・で守備力が下がっている時のバイキ・ト」みたいな。
そう思ってしまったり、感じてしまうのは誰でもある事でしょう。
ただ、その時感じた感情は恣意的な判断で間違っている可能性もある。
・・・どうでしたか?やっぱり面倒くさかったですか?(-。-)
それでも、この文章を見ているという事は・・・最後まで読んでくれたという事でいいでしょうかね?
読んでくれてありがとう!!!(-!-)
では、最後に今日の気持ちを・・・
「自転車の後ろタイヤの空気、抜けているんじゃねーかな・・・」と思った水曜日の夜。
じゃーねー。バイバイ。